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孤独な趣味の世界
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Yasmine Hamdan - Beirut
شرب العرق 
لعب الورق
خيل السبق
صيد الحمام
رسمال بيروت

لبس الغوى
شم الهوى
اكل الهوى
شاغل عقول
سكان بيروت

بيروت
زهرة من غير أوانها
بيروت
محلاها ومحلا زمانها
بيروت
يا حينها ويا ضيعانها
تذبل

ما في عمل
ما في امل
برك الجمل
ركب النحس
تجار بيروت

الغندرة
والفنغرة
والبهورة
كتر البطر
هالك بيروت 
shurb l-'araq
la'b l-waraq
khayl s-sabaq
sayd l-hamam
rismal bayrut

libs l-ghawa
shamm l-hawa
akul l-hawa
shaghil 'uqul
sukkan bayrut

bayrut
zahara min ghayr awaniha
bayrut
mahala-ha wa-muhalla zamaniha
bayrut
ya haynaha wa-ya di'anha
tadhbul

ma fi 'amal
ma fi amal
baraka l-jamal
rakib n-nahs
tujjar bayrut

al-ghandara
wa-l-fanghara
wa-l-bahwara
katir l-batar
halik bayrut
アラックを呑み
トランプで遊び
競馬に賭け
鳩を捕える
ベイルートの資本

誘惑の衣服
愛欲を嗅ぎ
愛欲を食らう
官能への没頭
ベイルートの住人たち

ベイルート
時期外れの花
ベイルート
その土地、時の持続による虚飾
ベイルート
その荒廃よ、その残骸よ
しおれていく

仕事もなく
希望もなく
駱駝は膝をつき
不幸が乗りかかる
ベイルートの商人たち

気障ったらしく
愚鈍で
徒に消費する
行き過ぎた虚栄
滅びゆくベイルート





近頃、この曲に取り憑かれている。

ヤスミン・ハムダンはレバノン出身のミュージシャンで、元々は「中東のマッシヴ・アタック」と呼ばれたソープ・キルズというバンドのボーカルであったらしい。

その存在を知ったのは、昨年末に日本でも公開されたジム・ジャームッシュの新作のヴァンパイア映画『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』に彼女が出ていたためだ。
タンジェの街をさ迷う主人公が、たまたま彼女の演奏を耳にし、吸い寄せられるという印象的なシーンである。なんとYoutubeに落ちていたので、早速埋め込んでおく。



ここでバックに用いられている、カルカベと呼ばれる鉄製の大きなカスタネットは非常に北アフリカ的な楽器で、近年日本の好事家たちの間でも知られるようになっているモロッコのグナワが、あの独特のリズムを生み出すのに使用することでも有名だ。
そうしたこともあって、てっきりモロッコの人かとばかり思っていたのだけど、この前タワレコに行った時に試聴機に彼女のアルバムがあって、それで名前を知ったのだった。
同じアラブでもマグリブ(西)とマシュリク(東)では随分違うのだから、ジャームッシュの表象は、乱暴というか粗雑な感は否めない。しかしまあ映画自体は、相変わらずの贅を凝らした映像と音楽に、もうただただうっとりするばかりで、素晴らしいものだった。個人的には、どちらかと言えば前作『リミッツ・オブ・コントロール』の方が好きだったけどね。

で、その時はハムダンのアルバム『ヤー・ナース』は買わず、というかいまだに入手してないんだけど、名前を控えておいたのをいいことに、この曲ばっかり聴いているのである。

ちなみにそのアルバムは映画の公開に合わせて2013年に米盤・日本盤が出たけれど、レバノンとフランスでは2012年に既にリリースされていたらしい。

 



 左:2012年盤

 右:2013年盤




この人、物凄く動画映えするはずなのに、なんだかどちらのジャケも微妙だなーという気がしないでもないが・・・

ま、それはともかくとして、そこに収められている「ベイルート」という曲である。

この歌詞は、オマール・エル=ゼンニという1940年代の詩人の作品から採っているとのこと。
冒頭に埋め込んだミュージック・ヴィデオの説明欄にはアラビア語とその英語訳が載っているのだけど、この訳はどうも大意を伝えるのに主眼が置かれているのか、正確さには欠けるようだ。

そこで、今回は頑張って自分で訳してみた。

ただアラビア語という言語は、文語と口語の距離が著しく、前者がイスラームという宗教との関係で、まるで冷凍保存でもされたかのようにほとんど不変であるのに対して、後者はまさに「生きた言語」で、時代・地域によって大きく異なる。この曲の詩も、おそらくはレバノンあたりの古めかしい口語の影響が強い。
で、僕は文語である正則アラビア語の、それも不完全な知識しか持ち合わせてないため、この拙訳も決して十分なものではないだろう。中列のアルファベット表記も、かなりいい加減なものである。
しかしまあ、それでも何かの足しになれば、と思う。なにせこんなにいい曲なのだから。

ちなみにこの曲のミュージック・ヴィデオには、2013年盤の発売に合わせて作られた別バージョンがある。



昔のベイルートの8ミリ映像をモンタージュしたこちらのものも、実に優れた映像作品になっていると思うが、個人的には、ハムダンの匂い立つような妖艶さを味わえる最初のバージョンをより好んでいる。
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Voilà, voilà, que ça recommence
Partout, partout, et sur la douce France
Voilà, voilà, que ça recommence
Partout, partout, ils avancent
  ほらほら、また始まったぜ
  どこもかしこも、この甘美なるフランスで
  ほらほら、また始まったぜ
  どこもかしこも、奴らがのさばってやがる

La leçon n'a pas suffit
Faut dire qu'à la mémoire on a choisi l'oubli
Partout, partout, les discours sont les mêmes
Etranger, tu es la cause de nos problèmes
Moi je croyais qu'c'était fini
Mais non, mais non, ce n'était qu'un répit
  教訓は不十分だった
  記憶を葬ってしまうことにしたようだな
  どこもかしこも、お馴染みの決まり文句さ
  外国人が、諸悪の根源なんだとさ
  そんなものはとうの昔に終わったと思っていたら
  一時の休止に過ぎなかった

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年度末ということで、最近は飲み会続きだ。
それで、どのタイミングでやったのかは分からないのだが、Kダブシャインと宇多丸の新曲「物騒な発想(まだ斬る)feat. DELI」が、いつの間にか僕のiPhoneにダウンロードされていたのである。これはまったく恐ろしい話で、酔っぱらった勢いでMP3をDLしまくった挙句に破産、ということにもなりかねない。気をつけないといけない。

さて、話題のこの曲であるが、右派のKダブと左派の宇多丸の二人が様々なトピックに触れて世相を斬るというスタイルは、少なくとも「キ・キ・チ・ガ・イ」の頃から続くもので、そこで挙げられる色々な問題のうちの一つだけを取り立てて強調し、その枠内で曲を評価するのは、短絡的にすぎるというものであろう。
とはいえ、「アホなレイシストが愛国者を自称」、「ネトネト粘着、ウヨウヨ湧く」などの文言は、ある方面でも反響を呼んでいるようだ。実際、Kダブによる後者は名パンチラインであると思う。

昨年来の、メディアの報道においてはヘイトスピーチと呼ばれる問題、よりスペシフィックには、在日特権を許さない市民の会をはじめとする「行動する保守」の界隈と、それに対するカウンター勢力の衝突は、Twitterなどを通して大体フォローしていた。
僕はヘタレなので、実際に行動に参加したことは恥ずかしながらまだないのであるが、反人種差別のデモなどがあれば、行ってこようかと思っている。

2chまとめサイトなんかを挙げるまでもなく、ネット空間での「愛国」を笠に着た差別的言説の氾濫には、ちょっと本当に圧倒されるものがある。個々の言説の大部分は紋切型の焼き増しであり、実に取るに足らないものであるのは間違いない。
それでも、この停滞した社会の雰囲気のなかで、鬱屈していたり、あるいは漠とした不安を抱えた状態で、浴びるようにああいった差別を煽る情報に触れていたら、陰謀論的思考に落ち込んでしまうのも、わからないでもない気がする。

ただ世の中が行き詰まると自民族中心主義的な排外主義が台頭してくるというのは、本当にどこにでもある、ありふれた話だ。
そうした意味でも、去年のラシッド・タハの新作『Zoom』のラストを、"Voilà Voilà"という反レイシズムを歌った自身の代表曲のセルフカバーが飾っていたのは、日本での動向とのシンクロを感じさせるものだった。
このことについては、すでに鈴木孝弥がEle-Kingのレビューで書いてくれているので、何も僕がそこに付け足すことはないのだが、ミック・ジョーンズとブライアン・イーノとの共作で、ミュージック・ヴィデオ版ではさらに多くのゲストが参加しているこの曲は、昨年よく聴いていたもののなかでも印象的だったし、「物騒な発想」をきっかけに思い立ち、自分のブログでも少しこのことについて少し書いてみた次第である。
さてさて、これまた随分と久しぶりの更新となってしまいました。

いやつい先日のことなんですがね、修士論文というやつをですね、だいたい8万字ばかしで書き上げてですね、無事これを提出することができたんです。でまあそれでこれから口頭試問という過酷な儀礼をくぐり抜けて、先生方の審査を通ることができれば、二年間の修士課程もめでたく修了とあいなるわけでございます。それでそのまま博士課程に進めれば、なんてふうに思っておりまして、まあ、まだ性懲りもなく学生を続けようって腹なわけですが、実際のところ博士課程ともなればモラトリアム的な学生気分からは完全に脱して、いっぱしの研究者になれるよう、覚悟を決めて日々精進せにゃならんわけです。そうすると、この研究者ってのも要は物書きの一種でございますからね、いや本当、わたしももっともっと書いていかないとね、てんでお話にもならんのであります。修士に入ってからというもの、読むことにばかりかまけていたんで、いや、読むのも当たり前に必要なんですがね、実際それでいざ自分の論文を書くって段になると、これがなかなかどうして、色々と大変なことになっちまってですね、いや本当、だいぶ苦労させられましたのでね、それでもう何というか、こう、もっと、書かないとなー、とね、切にね、感じ入るわけであります。で、なにも真面目な文章を常に書いてなきゃいけないという法はないのでありますから、こんなふうにライトな駄文を綴るにはやっぱしこのブログってのは最適な場だなと、改めて思ったわけでございます。ただ、現時点では、わたしはオンラインスペース上での匿名性を割と高めに保っているんですが、これを今後どうして行くべきかというのはちょっと考えとかないとなあ。

ま、それはそうとして、閑話休題。

偶然にも機会に恵まれて、修論も終わったことだしと、この前、久しぶりにDJを人様の前でしてきました。会場は駒込のダイニング・ハルコマ。こちらの店主さんがソウル好きだということは知っていたので、ここぞとばかりに70~80年代のソウルやファンクを中心にセレクトしていきました。楽しんでいただけたようだし、自分も下手くそなりにやってて物凄く楽しかったので、本当、良かった。かっちりセットを組んだ訳でもなかったし、そもそも酔っぱらってて、かけた順序とかはよく覚えてないんですが、割と反応が良かったり、「これ誰の曲?」なんて尋ねられたものを、一応、以下のこの記事の「つづき」の中に残しておこうかなと。ま、誰も見ちゃあいないだろうがね。


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東京在住の学生です
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