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孤独な趣味の世界
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いやはや、今度は半年以上も放置してしまいました。
四月から大学院に進学して、新たな環境のなかで結構忙しくしてたんですが、まあ、要するに僕といえば性懲りもなく学生を続けております。
本当は五月にTha Blue Herbの新作が出たときにブログを書こうと思っていたんだけど、下書きを途中まで書き散らかしたままにしてしまっていて、それはそのうちちゃんと書き上げてアップしたいと思ってはいるのですが、まあそれはともかくとして、昨日久しぶりに飲みすぎちゃったせいで今日はひどい二日酔いで、すでに夏休みとはいえこのまま一日を棒に振るのもはばかれるので、今年の新譜で良いなーと思って聴いていたものをいくつか紹介しようと思うのです。



Robert Glasper Experiment - Black Radio

いやーコレはもう客演陣のメンツが反則でしたね。エリカ・バドゥ、ミシェル・ンデゲオチェロ、ミュージック・ソウルチャイルド、ビラル、ミント・コンディションのストークリイと、いわゆるネオソウル界隈のおいしいとこ取り状態だし、ラッパーもモス・デフとルーペ・フィアスコと手堅い人選ですから。もちろん内容は期待を裏切らず最高にかっこいいんですが、まあ正直あまりにも予想通りというか、音自体に新しさや面白みはまったく感じられないのが少々痛いところではありました。





Greeen Linez - Things That Fade

こちらは渋谷のタワレコの店頭でたまたまかかってていたのを一発で気に入ったもので、まあエレクトロニカと言っていいんだろうけど、いかにも80sなディスコっぽい雰囲気を多分に残すと同時にとても現代的。さらに面白いことに、日本のスーパーのBGM、つまりあの気の抜けたサイダーみたいに人畜無害なフュージョンにインスピレーションを受けているとかで、言われてみると確かにそんな感じで、プールサイドの倦怠というか、そんなちょっと一昔前の都市的イメージを喚起するような音楽なんだけど、それでも決して退屈にはなっていないのが凄い。





DJ Mitsu The Beats - Beat Instruments

ご存じ仙台の雄ガグルのトラックメイカーのソロ・インスト集。ソウルフルなループの数々が最高に気持ちよく、かつ邪魔にならず聞き流しやすいので、一時期お勉強のBGMによく使っていました。これもまあ期待通りの一枚。





Evisbeats - ひとつになるとき

去年の暮れにYoutubeにアップされた、stillichimiyaの田我流を迎えた「ゆれる」にぶっ飛ばされて以来、待ちに待ったEvisbeatsのセカンド。シングルカットされた7インチのB面「いい時間」も最高だっただけに期待も高まらずにはいられなかったんだけど、まあ全体の感想としてはそこそこという感じで、正直良くも悪くも個性のないEvisbeatsの声質は、いかにも日本語ラップ的なガチャガチャした音とは相性が良くないように思えてならない。その代り、爽快なハウスの「海岸を越えて」なんかでのハマりっぷりは見事なんだけど。





Quantic & Alice Russell With The Combo Bárbaro - Look Around The Corner

これは間違いないでしょ~な一枚。様々なプロジェクトで毎年一枚はアルバムを出してくれるクァンティックが2009年作Tradition In Transitionでお馴染みのコンボ・バーバロを引き連れ、アリス・ラッセルという女性ボーカルと組んだ新作。この人の音楽はいつも特定のジャンル名や地名に還元して理解するのが非常に困難なんだけれど、とにかくさすがの安定感で、いやホント、素晴らしいの一言です。今年もフジロックには行かなかったけど、今後もしこの人が出ることがあれば絶対行かなければならないだろうと勝手に思っています。





Jimmy Cliff - Rebirth

最後はジミー・クリフのこれ。本作はプロデューサーにランシドのティム・アームストロングがついていて、ティムの2007年の初ソロ作A Poet's Lifeでは本格的なスカに取り組んでいたのは記憶に新しいのだけど、今回もその時と同様にジ・アグロライツ周辺のミュージシャンを集めていて、ルーツ・レゲエが好きな人を「わかっているな」とニヤリとさせるような非常にラフでロウで骨太なサウンド。初期のパンクにレゲエが与えた影響というのが多大であることはよく言われるし、ティムはジョー・ストラマーと自分の掘った音源を聴かせあう仲だったというのをどこかで読んだ記憶があるけれど、とにかく音楽バカであると同時にパンクのアティテュードをきちんと貫いている人物だから、今作にクラッシュの「Guns of Brixton」とランシドの「Ruby Soho」のカバーが収められているのも納得だし、互いのリスペクトを感じられるのがすごく微笑ましい。
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 毎年年越しは祖母の家へ行き、家族で過ごすのというのが我が家ではお決まりになっていて、皆でこたつを囲んでなんとなくテレビを見ながら今年はどうだったとか、親戚のあいつはどうしているなんていう毎度変わり映えのしない話を繰り広げるのですが、僕以外は年寄りばかりの空間で「ガキの使い」なんぞ観れるわけもなく、仕方がないので見たくもない紅白を結局毎年見るはめになるのです。そんなこんなで、演歌なんて一年のうち大晦日にしか耳にすることはないんですが、この画像のような小林幸子の馬鹿げた衣装を見るにつけ、それをちょっと楽しんでいる自分を認めつつも、こんなものが「日本の心」であるもんかよとは常々思っていたのでした。

 すると、なんとも丁度いい本が。


 裏表紙の紹介文によると、著者の輪島祐介はポピュラー音楽研究・民族音楽学・大衆文化史を専攻とするらしく、僕はワールドミュージックのことを少し調べていたら彼の「音楽のグローバライゼーションと『ローカル』なエージェンシー」という論文と出会い(コチラで読めます)、その名を知りました。

 演歌と聞けばとにかくなにか日本的なものと想像してしまいますが、著者はそうした前提や、明治時代の自由民権運動の「演説の歌」をルーツに持つというような定説、あるいは支配的な語りをひとまず括弧にくくり、近代日本の大衆音楽史、とりわけ戦後のそれを丁寧に繙いていきます。
 結論から言えば「演歌」という音楽のジャンルは1970年前後に形成された、僕たちが思っているよりもずっと新しいものであることが明らかになりますが、特に興味深かったのが、ややもすれば一見保守的ですらあるように思える「演歌」という言説空間の形成に、反エリート的なアウトロー志向や下層志向といった、「1968年の思想」が関与しているということでした。つまり、ブルースやジャズのような「被抑圧者の音楽」として「演歌」が求められたのです。
 すると当然、大学三年まで学園祭でデザイナーの真似事をしていた僕としては、日本学祭史上に残るこの1968年の東大駒場祭のポスターを思い出さずにはいられませんでした。


「これが1968年の終わり方だった。わたしたちの高校から歩いて十分ほどの東大教養学部では、セクト間のヘゲモニー争いをめぐってこれまでにない緊張関係が続き、学生の自主管理という形で駒場祭が11月になると開催された。わたしは何人かの級友とともに訪れ、割引になっている書物を何冊か買った。駒場祭で話題を呼んでいたのは、東映の任侠映画を真似たポスターだった。活動家の学生たちが生真面目な鍔迫りあいに一喜一憂しているとき、ノンポリを決め込んだ学生たちのなかには、こうしたシニックな自嘲趣味の流れが存在していた。だが任侠映画に熱中していたのは活動家の学生も同様であって、彼らはともに、ホモソーシャルな世界観に強烈な憧れを表明していたのにすぎなかったといえる。」(四方田犬彦『ハイスクール1968』)

 1968年という年号に対し、それを特権化するにせよ距離を置くにせよ、僕はそれを生きたわけでもないし知識もまったく足りていないわけですが、様々な方面でなにかと遭遇するこの「熱い時代」の刻印が、まったく予期もせぬところにおいても顕現してくるのには驚かされます。しかし確かに、そうして見れば当時日本のサブカルの中心地であった新宿から出てきて「夢は夜ひらく」を歌った藤圭子と、たとえば寺山修二を媒介して浅川マキなどを同列に並べてみることも可能かもしれません。

 遠い過去から連綿と継続してきたものとされる「伝統」が、実は近代の産物であったり異種混淆的な出自を持っていたりするというエリック・ホブズボウムなどの「創られた伝統」の視点にこの本が依拠しているのは著者も認めている通りですが、しかしホブズボウムが若いころにジャズについて書いていたとは本書を読むまで知りませんでした。
 また、こうした骨のある理論的枠組みだけでなく、本書には興味深いエピソードや、歌手や作曲家などの詳細な情報が数多く盛り込まれています。一例を挙げると、かつて「流し」の歌手たちは場所を移せばその地のヤクザ屋さんに対して仁義を切らなければなかったが、そうした一種のアウトロー的なイメージを前面に押し出したのが「ギター仁義」で登場した北島三郎であったなどなど。
 しかし惜しむべくは読み手の僕に演歌や歌謡曲、そしてJ-POPの知識が著しく欠如しているために、固有名詞の記述が続くと混乱しがちになってしまうことでした。もちろんその非は著者にはなく、そしてこの記事の冒頭に記したような、僕自身の日本のポップスに対するあまりに無関心な態度を少し改めなければとも思うのでした。その時には、きっとこの本がまた役に立ってくれるはずでしょう。
2011年は本当に凄い年でしたね。

「アラブの春」と今では呼ばれる民主化運動に始まり、この日本を襲った未曾有の大震災と原発事故、グローバル経済の破綻と、不条理な格差に対する抗議運動。もちろん、これらに関する音楽も数多く作られました。

Sout Al Horeya صوت الحريه


Gagle - うぶごえ


景気が悪化し社会が混迷する時にこそ優れた芸術が生まれやすいというジンクスを僕は信じているのですが、こうした世相を反映してか、昨年は本当に良い音楽との出会いが多かったように思います。
ただこれは今に始まったことではないのだけれど、その出会いの多くはインターネットメディアを介してのものであり、自分が音楽にのめりこみ始めたこのたった十年かそこらの間でも、音楽の受容の形態が劇的に様変わりしたことに気づかされます。
なんでもデジタル配信、あるいはタダでダウンロードというご時世でも、アメリカなどでは逆にヴァイナルの売り上げが伸びているとも伝え聞きます。まあ僕の場合、なにかご大層な主義だとかそういうのではなくてただ時代に乗り遅れているだけで、ただ惰性でCDなりレコードなりを買い続けています。
さて、議論の着地点を見失ってきたところで、僕が昨年よく聴いたアルバムを以下に紹介しましょう。豊作だったうえに大して聴きこんでもいないので、強いて序列をつけることはせずに、気に入ったものをミュージックヴィデオとともに並べるだけにしておきます。
1  2  3  4  5  6  7 
プロフィール
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tkm
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東京在住の学生です
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