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孤独な趣味の世界
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『町でいちばんの美女』

チャールズ・ブコウスキー作・青野聰訳




 アメリカが誇るカルト作家の短編集である。表紙の女性がタイトルとは裏腹にまるで美女でないところがいい。
 何が凄いって、その日暮しを続ける社会の底辺の人間たちの話ばかりだということ。登場する男のほとんどは、酒と射精のことしか頭にないかのようだ。とにかくどいつもこいつもダメな人間で、とっくに人生を諦めているが、それを受け入れて酒に頼りながらもタフにその日その日を生きる姿には、何か惹きつけるものがある。

女は性交の味わいかたが、それぞれ微妙にちがう。だから男はあきもせずに女を求め、くりかえしくりかえしワナにはまるんだ。(「女3人」)

毎朝仕事場に二日酔いであらわれて、夜になったらきちんと酔っぱらおうじゃないか。われわれはそんなことをいってふざけた。(「飲み仲間」)

などのように、随所に散りばめられたブコウスキーの人生哲学がたまらない。極めつけはこれだ。

「帰ってきてやったぜ。おまえはついてるよ」
「なにいってんのさ。あたしをブッといて。あんたはね、あたしをブッたのよ」
「うん」と新しい瓶を開けながら。「まだつべこべいうところをみると、1発じゃ物足りないってことかな」
「ほらはじまった」と彼女は声をはりあげた。「あたしのことは殴れても、男をやる根性はないのよ」
「当たり前だ!」と負けずに声をはりあげた。「おれは男はやらない! それがなんだというんだ。いったいなんのために男を殴るんだ!」
(チキン3羽)

見事なまでのダメっぷりである。ここは冗談でなく本当に吹いた。小説を読んでいて声を出したのはこれが初めてかもしれない。
 上に引用した文を見れば推して量れようものだが、ストーリーも荒唐無稽なものばかりである。盗んだ女の死体を犯すもの、女児を見てマスターベーションでは飽き足らずにレイプしてしまうものなど、これでもかと言わんばかりである。この2つの例は少々いきすぎているが、どうしようもない閉塞感の中で発露する人間の狂気を、ブコウスキーは路上にあふれる汚い言葉で描写する。そして狂気は悲哀を伴うものだ。表題作の「町でいちばんの美女」は、なんと悲しい話ではないか。
 こんなメチャクチャな話が書けるのも、ブコウスキー本人がメチャクチャな人生を送ったからなのだろう。確かにメチャクチャだが、こんな文学があってもいいではないか、と思う。
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『黒船』

サディスティック・ミカ・バンド


 先日、とある目的のためレンタカーを借りて宇都宮まで行った。言うまでもなくお気に入りのCDをしこたま持っていったのだが、最もヤラレタのは帰路に繰り返し聴いたこのアルバムであった。
 日本ポピュラー音楽史に燦然と君臨する名盤であり、「タイムマシンにお願い」が日本のロックが誇るアンセムの一つであることに異議を申したてる人はいないだろう。しかしこの度新たに僕が気に入ったのは、このアルバムのロックとしての魅力よりも黒人音楽、つまりファンクへの傾倒ぶりだ。それはインストゥルメンタルの「何かが海をやってくる」や「黒船(嘉永6年6月3日)」を聴けば明らかであるし、リズム隊、特にドラムのファンキーさといったらかなりのものだ。「塀までひとっとび」ではスライばりに攻撃的なファンクを聴かせてくれる。
 日本で、日本語で、ロックをやるということ。それが1975年当時ではどのような意味を持っていたのだろうか。21世紀に若者として生きる僕にそれは知りようもないが、歌詞以外にも「日本らしさ」をどう表現するかという問題に行き着くのは想像に難くない。そこで彼らが音だけで「ブラックネス」を端的に表すことのできるファンクに目をつけたというのは興味深い現象だ。もちろんそれが当時の流行であったのかもしれないが。チンドン的で滑稽な「どんたく」は楽天的な江戸趣味を取り入れることで何とかファンクを日本風に改ざんしようとする試みなのではないか。ファンクとは離れるが抒情的な「四季頌歌」のセンチメンタリズムは何とも日本らしい。
 つまり何が言いたいのかというと、これが世界に誇れる「日本の」音楽だということ。

サディスティック・ミカ・バンド - 塀までひとっとび
http://www.youtube.com/watch?v=vwfxongUQfk
直接貼ることができないようなのでひとまずリンクだけ貼っておく。

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『鬼が来た!』

チアン・ウェン監督




 いやーこれは凄い。太平洋・大東亜戦争末期を扱った2000年発表の中国映画であるが、よくある反日映画などとはまったく次元が異なる傑作だ。
 とある農村に謎の男が現れ、マーという村人を脅し、麻袋にくるんだ日本兵と中国人通訳の二人を残していく。仕様がないので二人を保護し、拘束しながらも世話をするが、約束の期日になっても男はやってこない。結局半年もの間、わけも分からずこの二人を抱え込むことになる。その間の日本兵・通訳とマーとの交流や、村人の葛藤をコメディーも多分に交えながら描いたのが前半だ。死のうとして必死にマーを侮辱する日本兵の言葉を通訳がまったく反対に訳すところなどはなかなか笑える。侮辱だと思って教えてもらった中国語の「お父さんお母さん新年明けましておめでとうございます」を凄んで叫ぶシーンは秀逸である。リウ老子という刀剣使いのじいちゃんもかなり馬鹿でいい。タイトルの言葉は彼によるものである。
 日本兵は次第に世話を受けたことに恩義を感じだし、礼に穀物2台分をやるといって解放してもらうのだが、本部に向かったところで酒塚猪吉隊長が登場する。澤田謙也という役者さんなのだそうだが、この人がちびりそうなくらい凄い迫力で、まさしくこれぞ帝国軍人といった感じである。これ以降の後半は雰囲気がガラリと変わる。酒塚隊長は生きて戻ってきた兵士をリンチするも、「皇軍は信頼を重んず」と彼が交わした契約を守って村に穀物を運ぶ。そして物語は悲劇的に進んでいく。村の虐殺が始まる際の狂気の緊迫感は見ものだ。「みんながやるなら俺も!」という日本人の気質がよく出ている。そもそもあんなおっかない上官がいれば逆らえる人などいないだろうが。バックの軍艦マーチが不気味に耳に残る。
 日本人の描写がフェアでないという批判もあるそうだが、僕はそうは感じなかったな。馬鹿で野蛮な日本人は今だってそこいらにゴロゴロいるし、そんな奴が占領軍という絶対的な支配力を持てば、ああいう振る舞いもまったく不自然でないと思う。もちろん中国人は日本兵に媚びへつらってへこへこしている。死にたくないからそりゃ当然だ! この辺はかなり脚本がしっかりしていると思った。
 この映画はカンヌでグランプリを獲得したが、中国では発禁をくらっているという。観るべきと言う価値のある作品である。

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プロフィール
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