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孤独な趣味の世界
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小川国夫『マグレブ、誘惑として』 講談社 1995年

 今年の秋あたりに、またモロッコへ行こうと思っている。
 彼の国に魅せられてしまった者の一人として、先達に学ぼうと古本屋などでモロッコやイスラーム関連の本を見かければ手に取るようにしているのだけれども、僕の本棚には手をつけないままに放ってあるものが多々ある。この本もそんな不遇な本たちのの中の一冊だったが、たまたま四方田犬彦の『文学的記憶』の中でこの本が触れられているのを見つけて、気が向いたので本棚の奥から埃被っているのを引っ張り出して読んだ。『モロッコ流謫』もそのうち読み返そう。
 主人公は初老の小説家。言葉が枯れて書けなくなっていることに懊悩している。それで精神科医に勧められて一週間ひたすら寝続ける臥褥(がじょく)療法というものを試してみることにするが、そこで見た夢に啓示を得て、モロッコへの旅を決意する。
 ところでこの人、よく夢を見る。その夢の描写が一応のことわりを置いた後に改行したのみで、さらっと始まりあっさりと終わるものだから、物語はなんだか睡たげで緩慢なリズムで進められる。こうした語り方は、舞台をモロッコに設定する上で、非常に有効なものとなっているように思われる。亡き夫の声を聞く寝たきりの老婆や、それを迷信的だと切り捨てながらも、病身の子供に音楽のまじないをする共産主義者のガイドなど、魔術的な話題には事欠かない国であるから。それに旅とはえてして、退屈と夢想の連続ではないか。
 老いた文人によれば、誘惑とは逃げようとしても引きずり込まれるものであり、魅力はそうなろうと意思させる価値であるらしい。最後に、彼は枯れた言葉を探して引きずり込まれた西の果ての地で、その素ともいえる声を、言葉の本来の生き方を発見する。それを見届けた後、深い息を吐きながら本を閉じれば、その表紙の青は深く、どこまでも蒼い。
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今回、青山真治についての論文を書くにあたってその著作をできる限り読み漁ってみたが、時間が足りなかったのと、わたしの怠惰のため、すべてを網羅することはできなかった。また、映画作家としての青山真治の作品で観ているのはDVD化されている『Helpless』『EUREKA』『サッド・ヴァケイション』の3作のみであるため、表現者・青山真治の全体論を語るのは明らかにわたしの手に余る。よってここでは、上記3作の所謂「北九州サーガ」に絞って論考をすすめ、最後に最新作の小説『地球の上でビザもなく』に触れて小説家・青山真治について論じたい。なお、以下、二重カッコで括られる作品名は特に注記がない場合はすべて小説のものを指す。

 

孤独になりそびれる人びと

 

 青山真治の作品には孤独な人物が多く登場する。主要なキャラクターは大概そういった面を持っているといってもいいだろう。この彼の性向は「シラケの世代」やら「新人類」やらと呼ばれた青山の属する世代にいくらか起因するのかもしれないが、そのことについてはここでは触れないでおこう。凡百の世代論を展開しても面白くないし、第一こちらにその用意もない。

 さて、孤独であるとはどういうことであろうか。それはつまるところ、他人との関係の一形態にすぎない。自分の周囲の人々との関係の中にあって、はじめて孤独という状況が生じる。他人がいなければ孤独にはなりえないし、誰かが自分をどれほど孤独と感じていようと、その孤独ゆえに他人はいつも彼のとなりに存在するのである。人は自分一人きりの世界に閉じこもることはできない。それをやってしまえば狂人と呼ばれることとなる。こうして関係を捨て切れず、孤独になりそびれる人びと、青山作品におけるその代表格が、『Helpless』『サッド・ヴァケイション』の主人公、白石健次であろう。

 幼いころに母親が出奔し、重度のアルコール依存症で入院している父親を持つ健次は、父の勤めていた工場の社宅にひとりで暮らし、日に二度病院の父を見舞う。家から一歩出れば関係がのたくり、がんじがらめであることにうんざりして、そこから脱出することを願いながらも、それはできないと彼は初めから諦めている。発作を繰り返す父親になじられて怒りを覚えはするが、反発することはせずただ憐れむばかりで、子供である自分には親を捨てる自由すらないと考えている。たとえ彼自身はすでに親に捨てられていようとも。

 病院と団地の往復以外には何もしない毎日で、健次は行き場をなくしていた。同様に彼の父も、そしておそらくは母もそうだったのだろう。彼には自分の未来を容易に想像することができる。それがその土地に生まれた自分の宿命であるように思われ、そのことに耐えられないと感じるが、それでも彼は逃げない。しかし彼の両親は違った。母はほかに男を作って家を出、父は病院のカーテンで自ら縊れて死んだ。

ひとり逃げ、縊死した父親の訃報は健次の怒りを駆りたて、その怒りはまた暴力を引き起こすが、そのいずれも彼を孤独へと開放することはない。父の死を知った直後にドライブインで起こった事件の後、健次は自らの死をもってその事件に終止符を打った安男の妹であり、足と脳に障害を持ち完全に他人に依存しなければ生きていけない松村ユリと行動を共にすることとなる。健次は父との関係が断たれた後に生じたこのやっかいな繋がりを捨てることもできたがそうはせず、その後10年にわたって各地を転々としながらユリと暮らしていくことになる。そればかりか、彼は事件のもう一人の当事者であり生き残りである柴田秋彦にコンタクトを取るべく、自分が父の死を聞いたドライブイン近くの公衆電話の台にメモの落書きを残してさえいる。関係の繋がりにがんじがらめになることに嫌気がさしている健次だが、結局彼もまたどこかに繋がりを求めている。彼はどこまでも狂人ではない。

 そして健次と対照をなすのが、彼の幼馴染でありユリの兄である松村安男である。健次と同様に両親に捨てられ、同じ団地で貧しさのなか妹と幼馴染との三人で身を寄せ合うように育った安男は長じてヤクザとなり、競合するほかの組へ討ち入りを試みるも失敗し、自らの刀で斬られて片腕を失った。不具者となって刑務所へ入った安男は、オヤジと慕う組長に労いの言葉をかけられることだけを望みにして出所の時を待つが、刑務所内で流れる不穏な噂を耳にし弁護士に問い合わせたところ、オヤジが死んだことをあっさりと伝えられる。組長の死を受け入れられない安男は、思慮をめぐらし、これが討ち入りに失敗した挙げ句に隻腕の役立たずとなった自分を除け者にする謀略であると結論付ける。

 死を捧げても惜しくはないと崇拝していたオヤジにまで見放された安男には、出所して久しぶりに戻った娑婆の世界はすべてよそよそしく感じられた。安男は周囲が繰り返し言う組長の死を頑なに信じようとせず、あくまでオヤジに会うことを求める。自らの手で殺すために。ここでエディプス・コンプレックスの言葉を引き合いに出すことは容易い。しかし、安男には敬愛すべき父親も殺すべき父親も不在である。このことは健次も同様であるし、1,989年の夏という設定からも作者の青山が「父親の不在」に対してはかなり自覚的であることが窺える。安男は不毛にもすでに存在しない一つの繋がりだけを強烈に求めるあまり、その引き換えとでも言うように、それ以外の自分と繋がる関係をひとつずつ絶っていく。実の妹をも手にかけようとし、終には自らの頭を撃ち抜く。それは彼の狂気であり悲劇である。

 以上は『Helpless』の物語である。話を白石健次に戻すため、『サッド・ヴァケイション』の段階に入ろう。健次はユリとの生活を支えるために仕事をするが、いくら目立たぬよう心がけても自然と彼のまわりには人が集まり親しくなってしまう、それに不安を感じては仕事を替える、その繰り返しの10年だった。ある時、密航者の輸送の仕事の際に出会ったアチュンという父親を亡くした中国人の子供を健次は引き取ることにし、以降はユリと身寄りのないもの同士の3人で暮らしていく。その後始めた代行運転の仕事で彼は恋人となる椎名冴子と出会い、そして気のいい中年の客を送った先でかつて自分と父を捨てた母親を見つけてしまう。出奔した母が再婚しその間に一子をもうけた相手は、自分たちのようなあぶれものを雇って小さな運送会社を経営する間宮という男だった。健次は母と会い、その懇願に乗ってユリとアチュンを引き連れて間宮の家に住むようになる。間宮の器の大きさに触れながらも、彼は母親に対する悪意を身の内に募らせていく。

 子供には親が必要だと言っていずれアチュンを迎えに行くと宣言した、かつて密航の仕事での相方を殺した中国人のハンに対して「親やらおらんでもええ」[i]と吠えた健次だが、それは両の親に捨てられて以降自分の力で生きてきた彼の本位に違いない。それだからこそ、必要でないのにもかかわらずいまだ繋がりを保ち、間宮の後を継げとまで言いだす母親の存在に耐えられない。そこで彼は、自分たちが間宮家に住んでからより反抗的になっていった種違いの弟に家を出るようけしかけた上に、自らも去ることで母親への復讐を果たそうとした。しかし予想外にも襲いかかってきた弟を殺めてしまい身動きが取れなくなると、その隙に母親は、健次がともに新たな生活を始めようと考えていた妊娠中の恋人、冴子をとりこんでしまう。健次は母親との繋がりを絶つことに失敗した。そればかりか母親はこれから生まれる子どもとすらやすやすと繋がってみせた。刑務所で務めを果たしたのち、彼はどう行動するだろうか。それを知るには出るかわからない物語の続きを待つしかないが、少なくとも健次が過去との繋がりを絶つことはありえないだろう。

 

田舎における関係の耐えられない息苦しさ

 

 意外なことに、映画『Helpless』の時点では舞台の設定を故郷の北九州にすることは青山の意向ではなかったようだ[ii]。確かにこの映画において、方言を別にすれば北九州が現れることはない。しかし次作の『EUREKA』において初めて、北九州という場所の固有性が物語に挿入されている。なぜなら、「場所もまた地理的な関係性の発生する根拠であり、それはまた言葉の発生の根拠でもある」[iii]と気付いたからだという。もちろん青山は間違っても故郷をノスタルジーのもとに特権化する誤りなど犯さない。

 以下は『EUREKA』からの引用である。

 

圭子のよくない噂は聞いていた。だが誰も圭子がどこから来たのか知らなかった。茂雄だけがかすかに言葉に自分と同じ県北の訛りが残っていることに気づいていた。だがそれ以上は分からなかった。素性のわからぬ女に噂はつきものだった。特に圭子のように人並以上に美しければ、やっかみや嫉妬の類が噂にいくらでも尾鰭がつけられる。狭い町の中をモデルのようにスタイルのよい圭子が歩けば、男たちは振り向いた。相手にされぬと思った弱気な男たちが勝手に憤り、自分のいいようにでっち上げたその女の物語を仲間らに言いふらす。真実かどうかなど問題ではなく、ただ男たちや周囲の女らの好奇心を掻き立てればそれでよかった。プチ芸能界、プチワイドショーの類はあちこちの居酒屋で、スナックで花咲いた。街角で井戸端会議する女らの目にさえ圭子は晒された。沢井にはそれがどんな気持か分った。自分はその目を怖れて引き籠り、挙句の果てに遁走した。だが圭子は毅然とその視線を跳ね返すだけの気丈さを持っていた。女にそのような強さを持たせるにはそれなりの生き方があったはずだった。(P.165)

 

夕方、茂雄が来た。秋彦とは初対面だった。秋彦は、茂雄の初対面の相手への態度の悪さとその言葉の抑揚からすぐに、この土地のものではない、と感づき、試しに自分の育った町のあたりの地名を言った。茂雄は目に見えて怯んだが、虚勢を張って、お前はどこか、と訊く。門司ですよ、と云うと、門司の者がなし東京言葉使うんか、と子供の頃から何度も秋彦が言われ続けた同じ台詞を口にした。元々東京だからですよ、とあっさり答えて、あんたはどこですか、と、さらに訊き返す。そこで様子を聞きつけた沢井が玄関に現れ、茂雄は縋るように沢井の許へ急いだ。そして、きさん、いつかくらすけの、と、これまた子供時代の秋彦が何度も言われ続け、そして言葉通り実行に移されたお馴染みの文句を捨て台詞に、沢井と何やら話し込みながら家の中へ消えた。秋彦は、揶揄うように、きさん、いつかくらすけの、と、小声で繰り返した。お前をいつか殴ってやる、という意味のその言葉の連なりを、秋彦はいつの間にか好きになっている自分に気づいた。(P.205)

 

 一つ目の引用が示すように、隣人に対して無関心でいられる都会とは違い、閉鎖的な田舎の狭い社会では噂が渦巻き、人目につく者ほどよくそのカモにされる。人びとは世間と呼ばれる生ぬるい集団意識の中で生活し、表面上は親しく接するも、互いに監視の目を働かせており、誰かが自分たちと異質なものを持っていれば鋭くそれを察知する。「東京言葉」を話す秋彦はそのアイロニカルな性格もあっていじめを受けてきたが、そんな彼だからこそ中学の時に八幡から越してきた茂雄の言葉を聞いたときに、茂雄が自分と同じものを見てきたことに気づき、からかわずにはいられなくなるのだ。世間に安住する者は、自分たちにとって「都合がいいが実際には何の解決も生み出さない常識というやつ」[iv]を信奉する。彼らはそこからはみ出すものを黙殺したりはしない。噂を流し、好奇の入り混じった白い目を向けることで干渉する。その視線を跳ね返すだけの強さがあればよいが、そうでなければ、卑屈になるか、同化するべく気丈にふるまうか、完全に没交渉を決め込み閉じこもるか、あるいは姿をくらますか、である。

 『EUREKA』の主人公の沢井は、母親の死の直後、母親の出身地である長崎を訪れ、その地の方言を身につけた。このことから彼が世間というものをある程度冷静に捉えることができる人物であることが窺い知れる。しかしその沢井をもってしても、バスジャックの事件の後に周囲から注がれる視線に耐えることができなかった。2年の「遁走」を経て、彼はようやくひとりで生きるだけの強さを得たと思えるようになったが、それも幻想にすぎなかった。沢井は自分が周囲との関係も、過去との繋がりも忘れようとしているだけであることに気づく。彼はバスジャック事件の生存者で、事件後に母と父を失って以降は2人で暮らす兄妹の家で彼らと共に生きることに決めた。沢井と違って直樹と梢の二人は子供であるがゆえに逃げ出すことすらできない。彼らは死と記憶の充満する家で、焦燥と悲嘆に沈殿し、身を腐らせるように暮らしている。

 兄妹のためだけに生きると決心した沢井の提案によって始められ、秋彦を含めた4人のバスの旅は、事件の起きた場所から出発した。土地の記憶からも世間の目からも離れ、ひたすら移動を続けるその旅は、死の恐怖とそれに抗うように湧き上がる衝動を冷静に見つめるようになるまでのプロセスである。衝動を律することのできなかった直樹と、恐怖に飲まれ自分たちには何の助けにならないはずの常識を口にしてしまった秋彦は先にバスを降りてしまったが、旅の終わりに梢は事件以来はじめて言葉を口にする。「EUREKA」とは「我発見せり」を意味するギリシャ語であるらしいが、旅の果てに彼らが発見したのが生きることである[v]のならば、それは生きる限り必ずつきまとう網目のような関係の繋がりに身を投じることにほかならない。だからこそ、沢井は声を取り戻した梢に「帰ろう」[vi]と告げたのであるし、後に梢はその意味を噛みしめることになるのであろう。

 

小説家・青山真治

 

 さて、以上「北九州サーガ」について、他者との関係性をめぐって述べてきたが、まだまだ考えるべき点は残されている。一例を挙げれば、自分の運命をも変えるような重要な邂逅のシーンには必ず雨が降っているということ。『EUREKA』においては沢井と田村兄弟、『サッド・ヴァケイション』においては健次と母親の千代子、そして健次と安男と思わしき人物。しかしこのことの意味はやはり作品横断的に考えていかなければならないだろうし、舞台が台風の多い九州であり、作者がそこに育ったことも関係するかもしれない。全作品を読んでいない上に九州に行ったこともなければ特別青山真治という人物を知っているわけでもないわたしにはまだこれを論じる資格はないだろう。よって以下は、蛇足を承知で彼の最新作『地球の上でビザもなく』について述べたい。

 この単行本の帯には「小説家・青山真治が映画監督・青山真治に一番近い姿で描く、渾身の本格小説」と書かれている。渾身の本格小説という部分に対してわたしは首を縦に振るが、それ以外も果たしてそうであろうか。

 まず細かい点をつつけば、この小説は日本、フランス、アメリカと舞台を転々とする。これはペンと紙で物語を創造する小説家の特権であり、予算との睨みあいを続けなければならない映画監督には辛い設定であろう。青山が撮る映画に破格の資金が投入されることは考え難いし、この物語もそういった類のものではないだろうから、青山が今後この小説を自ら映画化するようなことは起きないだろう。

 何より注目したいのは、この小説が一人称で書かれているという点だ。これまでの三人称で書かれた青山の小説には、どこか説明過多で感情移入しすぎる嫌いがあるようわたしには感じられたが、今作ではそのような印象は受けない。ところで映画、というよりも映像はいくら頑張っても三人称的にならざるを得ないものである。世界をキャメラという外部に設置された視点から眺めるほかないのだから当然である。完全に登場人物の視点から世界を語ることができるのは、戦略上の映画に対する小説の強みと言えるだろう。さらにこの小説には手紙、動きの少ないロングインタビューなど、映画に向きそうにないようなシーンが多い。作者が小説という方法をかなり意識しながら映画を書いていることは明白である。

 もちろん、この小説が誰よりも映画と映画界を知っている青山真治だからこそ書けたものであるということは言うまでもない。随所に散りばめられた映画論は彼の日頃の思考のそのまま書き写しに違いない。作中の天才監督高遠に語らせるように、彼にとっても映画とは麻薬のようなものであり、これからいくら小説家として成熟していこうとうも、それとは別の次元で彼はその生理的欲求に従って映画を撮り続けていくはずである。

 帯の文は書き換えられるべきであろう。「映画監督・青山真治にしか書くことのできなかった、純小説的映画小説。」とでも。

 



[i] 『サッド・ヴァケイション』、P153

[ii] 『われ映画を発見せり』、P40

[iii] 同上、P104

[iv] 『サッド・ヴァケイション』、P6

[v] 『われ映画を発見せり』、P106

[vi] EUREKA』、P284

 

 

使用した文献

青山真治『Helpless』角川文庫、2009

青山真治『サッド・ヴァケイション』新潮社、2006

青山真治『われ映画を発見せり』青土社、2001

青山真治『EUREKA』角川文庫、2002

青山真治『地球の上でビザもなく』角川書店、2009


またしても、である。
私という人間はいつもこうだ。始めてみては厭になり、しばらくすると戻ってくる。ここに戻ってきたということはつまり、私はまた文章を書きたくなったのだ。
最後の投稿はいつだろう。2009年の6月。それから9カ月も経っているのか。その9カ月で何があったろう。夏にはアメリカに行ったな。特に得るものもなかったけど、別に無駄ではなかった。そんなちょっとした旅行だった。そう、そしてアメリカから帰ってすぐに恋人に振られたのだった。しばらくグダグダしているうちに、学祭のパンフレット制作が始まって急に忙しくなったんだ。ひと月以上、学生会館に籠ってひたすらパソコンをいじくっていたけど、その間に新しい恋人ができて、うまくできてるもんだなって思ったものだ。パンフレットが片付いたら、打ち上げやらなんやらにも参加せず、ずっとその彼女と一緒にいて、ひたすら本を読んでいたな。そして年末に、大学の授業でラオス・タイに行ったんだ。そこで覚えた感情は、いずれ何処かに書くかもしれないけれど、今はそっと閉まっておこう。2010年になって、レポートをいくつか書いたけど、そのうちの一本は自分なりにとても力を入れて書いたものだ。きっとそれがきっかけで、その後本を読んだり映画を観たり音楽を聴いたりしているうちに何か書きたくなったんだ。そう思いながらもグズグズしているうちに、待つことを知らない時間はいつものように過ぎて、気づいたらこうして3月の半ばにもなっていたんだ。
ここからが本題だ。私はすでに、大学の4年生になろうとしている。就職活動の類は一切していない。それが何を意味しているか、自分でも知っているつもりだ。私は愚かにも、自らの能力、あるいは可能性を信じている。私は人とは違う、と。だから、私は書くことに慣れなければいけない。言葉を磨き、思考を築かなければならない。
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東京在住の学生です
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