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孤独な趣味の世界
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四方田犬彦 『『七人の侍』と現代』 2010 岩波新書

 今から遡ること3カ月ほど前、多摩美術大学美術館にて「キューバン・グラフィズム −版画とポスターでたどるハバナ宣言50周年−」という展示を観てきた。ポスター愛好家を自任するぼくとしてはラテンアメリカの、それも共産圏の映画ポスターが観られるというまさに垂涎ものの企画であったのだが、熱帯ならではの彩り鮮やかなポスター群のなかに、歌舞伎をあしらったと思われるようなデザインのものが一点あった。学芸員の方の説明によれば、やはりそれは勝新太郎主演の『座頭市』のポスターだという。同シリーズが革命を経たキューバにおいて人気を博したというのは有名な話だ。
 そしてそれは『七人の侍』も同様であるという。キューバのみならず、パレスチナでも、コソヴォでも、『七人の侍』は単なる映画史上のマスターピースとしてではなく、人々に共感と感動を抱かせる映画として支持されているという。著者は、現代の日本に住むわれわれが逆に見えづらくなってしまっている、神話の靄に隠されたこの映画のアクチュアルな意味を、1954年の制作当時の政治的状況を追うことで可視化する。これが本書のもっともスリリングな点であろう。
 続いて筆者は、黒沢が天才映画作家として神格化されるにいたったことの顛末を映画史を紐解いて説明し、その上で『七人の侍』における侍、百姓、野伏せ(野武士)の表象を分析することで、黒沢の革新性と、その時代的・思想的限界を明らかにする。こうして神話のベールを取り払った後に、映画のラストシーンを手掛かりに「服喪」という新しい視点を導入することで本書は幕を閉じる。
 読んだ後は必ず『七人の侍』を観返したくなる良書。さすがの一言。


荒このみ 『マルコムX』 2009 岩波新書

 アフリカン・アメリカンの指導者の二大巨頭を比較して扱った者に上坂昇『キング牧師とマルコムX』(講談社現代新書、1994年)があるが、マルコムXのみを扱った評伝は、本書が本邦初となるらしい。
 時系列に沿って書くつもりもなかったのだろうが、話が前後したりして散漫な印象を受け、構成力不足の感がぬぐいきれない。よって訴求力に乏しく、初めて知るようなことも多かったはずなのに飛ばし読みしてしまって、何一つ記憶に残らなかった。筆者がマルコムXの育ったボストンの家を訪ねる筋などは面白かったのだが。本邦初の意義は認めるが、それにしては残念、といったところ。
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Caetano Veloso『Livro』 1997年


 曙光が窓をほのかに染める朝のまだごく早い時間、ふと目が覚める。眠気のうちにまどろんでいると、頭の中にある一つのメロディーが流れ込んでくる。ちょっと逡巡したあとに意を決して身体を起こし、寝ぼけまなこでその曲の入ったCDを探し出し、再生装置にセットする。あとは心地よい音楽に包まれて、再び眠りに落ちてしまうのもいいだろう。でもこうして、久しぶりに聴いたそのアルバムの変わらない素晴らしさにすっかり感動してしまって、たまらずに文章をしたためるのもいい。



 一艘のカヌーがツイツイ
 北から南へ 朝を横切る
 舳先では伝説の女神が
 松明を掲げる
 世界中の男たちが
 その方角へ視線を向けた
 風の味が歌う
 愛しい娘の名をガラスに響かせながら
 ―Manhatã [Para Lulu Santos]


 経験上、なんて大げさに言うのも変だけれど、朝のフラットな感覚が選ぶのは文句の付けようのない名曲・名盤であることがほとんどだ。そうは言っても、それでもなお、なんと美しい音楽、それに美しい歌詞だろう。上にあげたのは國安真奈さんによる素晴らしい対訳の1番の抜粋で、それに続く「マニャタン」と繰り返すサビのメロディーが今朝僕の頭を捉えて離さなかった張本人だ。この曲自体はアルバムの中ではそう目立たなく地味な佳作といったポジションなんだけど、ふとした時に急に聴きたくなるのは、不思議といつもそういう曲な気がする。
 この『書物』と題されたカエターノ・ヴェローゾのアルバムは、その長いキャリアのなかでも傑作の一つとして挙げられることも多いようだ。躍動するサンバのリズムに、豊饒なストリングス(チェロが素晴らしい!)、ツボを押さえたホーンアレンジの妙技、それらの間を掻き分ける歪んだギターの音、そして理知的なカエターノの歌、と、ポイントを挙げてみるならばこんなところだろうか。
 ぼくがこの作品を買ったのはたしか中学生の時のことだったはずだ。もちろん当時の僕にこの良さが理解できたのかどうかは怪しいものだが、その後もずっと手放さず、数か月ごとに引っ張り出しては聴いている。それほど気に入っているはずなのに、実は、いつもついつい後回しにしてしまってカエターノの他の作品は一つも聴いたことはない。このカエターノに限らず、2007年の来日前後にマリーザ・モンチに熱を上げたのを唯一の例外として、ぼくはMPBもといブラジル音楽とはずっと一定の、それもいくぶん遠めの距離を保っているようだ。これを機に、近いうち一歩踏み出してこの距離を少し縮めるとしよう。その際手掛かりとするべきは、やはり「粋な男」カエターノにほかならないだろう。
横浜聡子監督『ウルトラミラクルラブストーリー』 2009年


 これは凄い映画だった。
 青森の片田舎で農業を営む陽人という純朴な青年が、恋に破れて東京からやってきて保育園に勤め始めた町子という女性に恋をするという話で、これだけ聞けば何とも紋切り型に思えるけども、そんな甘っちょろい映画ではない。
 純朴などと言ってお茶を濁したが、この陽人くん、物語中ではっきりと言及こそされないものの、明らかに知的な障害を持っているのだ。彼は過剰なまで、気の向くまま奔放に振舞うし、おまけに慣れるまでなかなか意味を把握するのが難しいほどに強く訛っているときている。つまり、わたしたちが映画を観るうえで当然のように前提とし期待しているコード(作法と言い換えてもいいかもしれないが)を二重に裏切り続けるのである。観ている側がストレスを感じるほどのはみだしっぷりの彼はやはり、人間としての文化的コードをまだ身につけていない子供か、あるいははじめからその外にいる動物に近い。そう考えると一見ベタすぎるように思える町子の保育士という設定も、最後のオチの後に彼女が浮かべる表情も納得がいく。
 実は松山ケンイチが出ている映画をまともに観たのはこれが初めてだったのだが、衝動のまま躍動するような彼の肉体に、とても素質のある役者なんだなと感じた。まあ松山ケンイチ目当てでこの映画を観ると唖然とさせられるだろうけど。このタイトルもずるいよなあ。

 そしてこのトレーラーもずるい。悪意を感じる。
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