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孤独な趣味の世界
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『ダイ・ハード』 1988年
『ダイ・ハード2』 1990年
『ダイ・ハード3』 1995年
『ダイ・ハード4.0』 2007年


 アクション映画といわれるものとは距離をおいてきていた僕である。ハリウッドなどの大資本型娯楽系超大作なんていうものには基本的に興味がないし、これからも恐らく進んで観ることはないだろう。それではなぜ、今さらになって『ダイ・ハード』シリーズなど観てみる気になったのか。まずそこから話を始めよう。
『ダイ・ハード』シリーズといえば、いわずとしれた大ヒットアクションで、テレビのロードショウの常連だ。しかし僕はもともとテレビをあまり観ない人間である上に、「いつでもやっている」「ことさら観る価値もない」という考えから、僕はシリーズ中の一作も観ないままであった。誰もが観ている映画を観ていない、そのことを恥ずかしく思ったりなどはしないが、まあ映画好きを名乗るならばやはりこのくらいは教養として観てみても損はないだろうという軽いノリでシリーズを通して観ることとなったのであった。

 で、観てみた、ら、やっぱりこれが面白いのである。話はカンタン。主人公のジョン・マクレーンは正義感の強い警官で、毎回やっかいな犯罪組織の陰謀に巻き込まれるが、傷つき苦戦しながらも刑事のカンとド派手なアクションを武器に悪者を見事に倒していく。映画開始早々に始まる爆発に銃撃戦、徐々に明らかになる犯人像、苦境に追い込まれる主人公に適度にハラハラさせられて、最後には主犯を殺してめでたしめでたし。大方のアクション映画で繰り返されるプロットが、手を変え品を変えここでも展開される。観る側としてはまったく安心して眺めていられるのだ。
 しかし、この安心できる分かりやすさや単純さというのがやはり危険なわけで。ブルース・ウィリス扮する主人公はまさに強いアメリカの男といった趣。彼は警官という職業上つねに他人を観察し、持ち前の鋭い勘でその中から不審な人間を見つける。彼にとって悪者はつねに他者でそれは外からやってくるのであり、自らの正しさは夢にも疑わない。しかもなんともご丁寧なことに犯人グループは大抵外国語を話すのだ。『ダイ・ハード4.0』においては悪役は完全な外国人グループではなくなっているが、主犯の男は神経質でギークな人物という「新人種」であるし、犯人グループの末端はやはり外国語を話している(たしか。ちょっとうろ覚え)。
 さらに狡猾なことに、彼は「他者」のなかでも利用できそうなものに対しては抱え込み、協力させる。彼が「他者」に対して行う働きかけは統合か排除の二択なのである。すでにおわかりだろう、ここでいう彼とはすでにジョン・マクレーンのことではなく、物語の中に隠蔽されたアメリカのマッチョイズムである。

「スチュアートが見せしめにイギリスの航空会社のダグラスDC-8を墜落させて、乗客乗員もろとも爆発炎上するシーンには一部に批判の声もあった(北野武も度々「オレの映画よりダイ・ハードの方が何百人も殺してる」と語っている)。しかも旅客機は燃料が切れかかっているのに、墜落時には燃料満タンのような大爆発を引き起こした。」(「ダイ・ハード2」wikipeiaより

 以上に僕が書いたことなど、きっとこれまでも様々なところで言われてきたことであろうし、もしかしたら娯楽作品を鑑賞するうえでいちいち穿ってみる必要もないのかもしれない。しかしながら、引用中の北野の言葉が示すように、最後に悪者が倒され、おまけに妻と仲直りすれば全てめでたしというのでは、あまりにもお気楽すぎないか。それは『ダイ・ハード』のような娯楽映画から『ホテル・ルワンダ』のような映画までに通じる物語の陥穽とでもいうべきものではないだろうか。
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横浜聡子監督『ウルトラミラクルラブストーリー』 2009年


 これは凄い映画だった。
 青森の片田舎で農業を営む陽人という純朴な青年が、恋に破れて東京からやってきて保育園に勤め始めた町子という女性に恋をするという話で、これだけ聞けば何とも紋切り型に思えるけども、そんな甘っちょろい映画ではない。
 純朴などと言ってお茶を濁したが、この陽人くん、物語中ではっきりと言及こそされないものの、明らかに知的な障害を持っているのだ。彼は過剰なまで、気の向くまま奔放に振舞うし、おまけに慣れるまでなかなか意味を把握するのが難しいほどに強く訛っているときている。つまり、わたしたちが映画を観るうえで当然のように前提とし期待しているコード(作法と言い換えてもいいかもしれないが)を二重に裏切り続けるのである。観ている側がストレスを感じるほどのはみだしっぷりの彼はやはり、人間としての文化的コードをまだ身につけていない子供か、あるいははじめからその外にいる動物に近い。そう考えると一見ベタすぎるように思える町子の保育士という設定も、最後のオチの後に彼女が浮かべる表情も納得がいく。
 実は松山ケンイチが出ている映画をまともに観たのはこれが初めてだったのだが、衝動のまま躍動するような彼の肉体に、とても素質のある役者なんだなと感じた。まあ松山ケンイチ目当てでこの映画を観ると唖然とさせられるだろうけど。このタイトルもずるいよなあ。

 そしてこのトレーラーもずるい。悪意を感じる。
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『ツィゴイネルワイゼン』

鈴木聖順監督


 さっそく更新が滞ってしまった。が、まあ気負わず行こう。どうせ誰にも教えていないし、見られていやしないのだから。
 さて、この『ツィゴイネルワイゼン』だが、以前早稲田松竹で上映していたのを見逃したので、この度DVDを借りて観てみた。しかし、これが困った。語ろうとしても、如何せん、理屈で説明できるような映画ではないのだ。夢と現実、生と死(死してなお鮮烈な中砂の存在感よ!)さえ曖昧であるのだ。このストーリーを完全に理解することはできないし、実際そうする必要もないように思う。理を解さなくとも、豪放磊落な中砂の魅力や、妖艶な妻たちのエロティシズムと狂気、目盲の狂言回しの3人組など、画面に映るこれらの姿は、強烈な体験として僕の記憶に残ることだろう。
 
なにせうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ

これは『閑吟集』という室町時代に成立した歌謡集に収められた有名な一首で、訳すと、「まじめくさって何になる。一生は夢だ。ただ狂えばいい」となるらしい。タイトルにもした後半部は、鈴木聖順監督の座右の銘であるそうだ。結局このことが一番この映画をうまく説明しているのではないか。
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