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写真を撮ることに興味を覚えはじめたのは何年も前のことになるけれど、奮発して買ったデジタルカメラで撮った写真はデータとしてハードディスクに蓄積され、そのうちのごく少数が画面上で何度か再生されるだけだった。だからこうして写真屋さんに撮ったもの(フィルムではなくデータの形ではあるが)を持ち込み、それが現像されるのを待って、印刷された写真を取りに行き、そしてそれを一枚一枚並べてアルバムを作るという経験をするのは本当に久しぶりのことだった。それどころか、このようにして、SNSなどインターネット上に載せるときのように他人から見られることを期待するのではなく、純粋に個人的な愉しみとして、ただ自分が通過したある一定の期間を封じて保存するために、写真を用いたのは初めてのことかもしれない。「モロッコにて」とごく単純に、ただしアラビア語で題されたそのアルバムは、なかには我ながらとても良いと思う写真もいくつかあるのだけれど、望む人がいれば見せることもあるかもしれないとはいえ、それを当てにすることなくこれからずっと僕の本棚の一角にひっそりと並べられ続けることだろう。そして一年に一度くらい、あるいはもっと稀に、気が向いたときに手にとって埃を払い、見返しては当時の記憶や感情に浸るのだ。そうしたきわめて自己満足的で贅沢な使い方を僕は望む。
そして人知れず朽ちていく運命にあるそれらの写真を撮った3か月にわたるモロッコの旅もまた、ごく個人的なものであった。この旅という言葉を、それに宿命的に伴う気恥かしげなロマンティシズムと、その下に隠蔽された矛盾や悲惨さをも肯定したうえで僕は用いている。長くも短くもある3か月のあいだ、一つの国のあらゆる土地に赴こうとし、僕はたくさんの人に会い、それよりも多くの人とすれ違った。さまざまな光景を見たが、すべてを見ることはできなかった。色々なことを感じ考えたが、大部分の時間は無感覚のまま過ぎていった。そもそもが行くこと以外に確たる目的を持たない旅だったのだ。だから何もここで総括や結論じみたことを述べる必要もあるまい。どちらにせよ、旅など決してたいしたものではないのだ。あんなものは、十分な資金さえあれば少々の気まぐれを起こすだけで誰にでもできる。
自分の訪れた街々をエキゾチックに飾り立てることもできるし、ある種の体験を冒険と名付けて語ることもできる。モロッコ人や旅人、それからもちろん自分自身の欺瞞を暴きだすこともできるだろう。けれどもここでは余計な事には口をつぐみ、すでに帰国から数日経っているものの、必要最低限のあの言葉を一言いうだけにとどめようと思う。
どうも、ただいま帰りました。
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