咳をしても一人 来たるべき俺俺時代をいかにサヴァイヴするのか 忍者ブログ
孤独な趣味の世界
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星野智幸 『俺俺』 2010年


 人間の生活が公私の2面に分けられるとしたら、前者には労働が、後者には家庭が割り振られるのだろう。両者に共通するのは、誰もがそのなかで自分にあてられた役割を演じているということであり、決定的な違いは、その役割が前者では代替可能で後者では不可能ということであろう。しかしこの代替可能性を逆転させて「私」の面へと導入するとどうなるか。
 仕事が人間を育てるということは大いにあるらしい。とはいえ、人の個性が決定づけられるのは、基本的には「公」以前に私たちがつねに/すでにそこに放りこまれている「私」の面においてではないだろうか。そうすると、そこでの役割が代替可能となるならば、代わられる私と代わる彼は同じ人物であるということになってしまう。つまり誰もかれもがとなる訳だ。
 道で出逢うのは仏ではなく自分自身であり、自分と対面し、自分を殺せ。かつて岡本太郎は禅僧の会合の場でこう述べて喝采を浴びたらしいが、さすがの岡本太郎も疑心暗鬼となった大勢の同士がバトルロワイヤルさながらに殺しあう恐慌状態までは想像しなかったに違いない。その図は凄惨を極める。なぜならそれは、一見淘汰のヒエラルキーを昇っているかのように見えても、結局殺したのも殺されたのもであるのだから、殺したは殺されたの弱さをも自分が備えていることに気づかざるをえず、自己嫌悪の泥沼にずぶずぶと沈み込んでいくほかないからだ。
 なにかと評判の本書であるが、たしかにこれほど時代に要請されて存在の不安を書ききったものは珍しいだろう。リアルタイムで読むことができたのを喜びに思う。
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